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シンボリルドルフについて

シンボリが本当に走ってた時代は、私は馬券が買えない学生だった、おまけに地方に住んでおり競馬中継が無く、唯一家で定期購読していたスポーツ新聞が情報源だったのですが、(これは父が釣りが趣味だったので取っていた)、レースの度に見だしが踊っていました。

無敗の3冠馬という称号は当初良くわかっていませんでしたが、その後実際に馬券を買える年齢になりその偉大さが分かりました。

先ほども言いましたが地方民の為競馬中継が無いのですが、NHKが天皇賞など一部の重賞は全国放送をするので、それを年に数度楽しみに見るという形でした。

無敗の3冠を達成した後の長い間活躍G1戦線を活躍7冠馬として「皇帝」の異名に恥じない活躍をした名馬である。

(ルドルフは、神聖ローマ帝国の皇帝の名前より取った)種牡馬入り後も突出することはなかったが安定的な活躍場を排出、最大の後継馬はトウカイテイオー(G1も勝ち種牡馬となる、ただしトウカイテイオーの子に種牡馬となった競走馬がいないため血統は絶える可能性が高い。

)人気者と言うよりもその成績で他の馬を圧倒しているというイメージか?野球選手で言うなら王貞治のような感じでしょうか?人気よりも実力の昭和の名馬だと思います。

2011年5月11日 | コメント/トラックバック(0) |

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オグリキャップについて

言わずと知れた、「平成の怪物」地方競馬から中央競馬のG1馬にのぼりつめた、まさに競馬に夢があった時代の代名詞のような存在ですね。

ちょうど、平成になった時に一大競馬ブームが到来しアイドルホースという名称がつくほど一般的な知名度を持ってた馬、ちょうど世の中がバブルの時代でもあったことからその流れにも乗りました。

一時代を作りました。

私は中央に行ってから見るようになったので、地方(笠松)時代の事はよくわからないのですが、ぶっちぎりに強いと言うよりも、調教によってドンドン強くなっていったという部分、そして注目された勝負根性の部分など天性のと言うよりも、努力で勝ち上がってきたというイメージがあります。

地方時代はまわりとのレベルの差で連続で連対していましたが中央では必ずしもそうではなかった。

気性は悪いと、騎手は難しいという感じですが、騎手は総じて精神面を評価しており、この評価が人気馬となった影の要因という部分もあるのではないか?と思います。

種牡馬としてはあまり大きな業績は無いですが、オグリキャップ自身が引退後も非常に人気がある馬だった事も特徴かと思います。

本当亡くなった時に献花台が設けられた事、記帳も1万人を超える人が記帳した。

この馬は平成時代の競馬最大のスターと言えるのかもしれない。

2011年5月6日 | コメント/トラックバック(0) |

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オグリキャップについて

言わずと知れた、「平成の怪物」地方競馬から中央競馬のG1馬にのぼりつめた、まさに競馬に夢があった時代の代名詞のような存在ですね。

ちょうど、平成になった時に一大競馬ブームが到来しアイドルホースという名称がつくほど一般的な知名度を持ってた馬、ちょうど世の中がバブルの時代でもあったことからその流れにも乗りました。

一時代を作りました。

私は中央に行ってから見るようになったので、地方(笠松)時代の事はよくわからないのですが、ぶっちぎりに強いと言うよりも、調教によってドンドン強くなっていったという部分、そして注目された勝負根性の部分など天性のと言うよりも、努力で勝ち上がってきたというイメージがあります。

地方時代はまわりとのレベルの差で連続で連対していましたが中央では必ずしもそうではなかった。

気性は悪いと、騎手は難しいという感じですが、騎手は総じて精神面を評価しており、この評価が人気馬となった影の要因という部分もあるのではないか?と思います。

種牡馬としてはあまり大きな業績は無いですが、オグリキャップ自身が引退後も非常に人気がある馬だった事も特徴かと思います。

本当亡くなった時に献花台が設けられた事、記帳も1万人を超える人が記帳した。

この馬は平成時代の競馬最大のスターと言えるのかもしれない。

2011年4月26日 | コメント/トラックバック(0) |

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ナリタブライアンについて

個人的に競馬に一番はまった時期の最も中心にいた馬なので、思い入れがあります。

クラシック3冠馬であるのですが、一応全レース馬券を購入(金額は少ないですが)で全レース取らせてもらいました。

その時は岐阜県に在住していたので、WINS名古屋にほぼ毎週通っていました。

その時の思い出とオーバーラップする分個人的な思い出もあるのかもしれないですが…。

本当に強かったと思います、4歳の時は…。

調べると1994年なのですが、この年はナリタブライアンが日本の競馬界を背負って立ち、マスコミなどの注目もものすごく集めたと思います。

半兄でビワハヤヒデが先に活躍していたわけですが、最初はビワハヤヒデの弟という扱いでしたが、その後はビワハヤヒデがナリタブライアンの兄という扱いに逆転してましたね。

弱肉強食だな~と思った記憶があります。

結局、4歳時をピークとして5歳以降はG1を勝てず、ただの早熟馬という辛辣な評価をする人もいたようです。

最初は南井騎手が主戦で乗られて3冠達成したんですが、5歳途中で武豊騎手に乗り替わり、その時期から勝てなくなるようになったので、騎手の問題もあったのか?とささやかれたのがちょっともったいなかったですね。

その後ぱっとせず引退し種牡馬となりましたが、種牡馬としては結果は出せず、病気で安楽死処分されてしまいました。

残念ですが、私以外にも思い出に残っている人はたくさんいると思う人気馬です

2011年4月26日 | コメント/トラックバック(0) |

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